(法話:パパンチャを破る-禅の物語(無門関)にちなんで) より
無明とは簡単に説明すると、
四聖諦を知らない。
因果法則を知らない。
事であるが、
難しく言うと、無明とは、
パパンチャ(Papañca:データのねつ造)の事です。
私達は瞬時にデータをねつ造する。
生きる事とは、動く事。 何故、動くかと言うと、感覚があるから、その感覚は苦で出来ている。
苦が無いと生きていけない。
身体は、物凄く脆(もろ)い。 世の中でこれ程脆(もろ)い物はない。 それでも生きているでしょう。
苦があるから生きていられる。 苦しいからとにかく気をつける。
これが、バカバカらしいでしょう。 生きる事に何の価値も無いでしょう。 生きるとは苦一本でしょう。
なのに大事な物、尊い物、他を殺してでも守る物と思っている。 その上、永遠に天国があると思っている。
他の仏教では、阿羅漢(解脱)でも無い人達が極楽道を作ったり。 生きるべきである。 死ぬ事を認めたくない。 死んだら成仏して天国で永遠に生きる。 と説いているが、これも無明。
因果法則を解らない事も無明。
無明が無い生命はいない。
生命であるといった時点で、無明であると決まっている。
生命とは、生きる事は苦だから何にも執着する必要は無いと解った時点で、修行に入ると直ぐに悟る。
修行で、なかなか悟りに達しないという事は、無明を正当化している。
http://appamado-amatapadam.blogspot.jp/2012/01/blog-post_8836.html
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